播州の名物料理は、と聞かれると困ってしまう。姫路に来訪された方にも、何が姫路らしい食べものは何ですかと聞かれ、さてと弱ってしまう事が多い。
 
何故、そんなに地の物が少ないのであろうか。
 城下町の歴史は長いのに、何故か城にちなんだ食べものの話も少ない。長い間、郷土の料理も研究して来たその中で解る事は、播磨地方は全国の中ですばらしいリッチな土地なのだ。例えば、全国の晴れの日数が一番多いのもこの地方で、又、変わった所で池の数が日本一多い所である。これは、農業に関係がある。又、昔は、池の中に出来る、吸物によく使われる、じゅんさいが最も多く採れた所である。
 近くの太市の300m前後の山郡は、地層に鉄分が多い白い粘土層で、又、気候風土に恵まれた、白く柔らかくきめの細やかなアクの少ない形のよい筍を産出し、京都の山崎地方に敗ぬとも劣らずすばらしい筍を産出し、又、荒川地区では小芋祭が行われている等と大変に立派な農地が豊かで、又、大津区勘兵衛を代表した網干あたりの水田には、わき水があり、大変に美しく白くて柔らかい蓮根が採れるすばらしい土地であり、又、南部を見るとすぐ近くに播磨灘をひかえ、この瀬戸内海は海流、島の天候等、諸条件がそろい世界一味のよい魚を生み出している。又、その諸条件の中で沿岸は、遠浅で砂泥地が多く、穴子やシャコを産しており、漁獲量も多く、又、漁港も近いので鮮度の良い物が手に入り、すばらしい味を満喫できるのである。
 こう考えると、播磨地区は全国で一番農水産物がリッチなところで、郷土料理というものを調べてみたら大方が産物に恵まれない地方が色々工夫をして、何とか食べたものが有名な郷土料理となっている。例えば、京都の芋棒、鯖街道等は、海が遠く魚が少なかったので、そんな料理が発達したのだが、この芋棒鱈の芋の方は、昔は網干地方から京へ送られていたと聞いている。京都は、保存食が発達しているのは、何れにしても、多くの公卿さんがうまいものを要求したためだと思われるが何れにしても必要は発明の母なのだ。
 
所で播磨地方は山海の豊かな産物に恵まれたすばらしい土地なので今まであまり工夫の必要がなく、おいしく食べられたので特別な料理が少なかったと思われるが播州の鯖のなれ寿司といわれる姿ずしがある。これは、古いなれ寿司の原型の型を残した現代の寿司で元もと鯖寿司は高知県の郷土料理として有名で高知の皿鉢料理のなかの豪快な鯖の姿ずしが盛り合わせてあるのでご存知の人も多いと思われるが、こちらの鯖ずしは、頭付き鯖の塩漬けの塩を水で抜き、酢又は甘酢で調味しこれに胡麻生姜を混ぜたすし飯をつめて型を作り、押し箱にきっちり並べて蓋をして上に重しを置き二三日ねかせてから取り出して切って食用にする。鯖を塩漬けにし、飯を詰めて箱に入れ重しで押して寝かせるところが昔のなれずしの型である。一昔前の老人に聞いた話にこのすしをカビが生えるまで置いてから切って焼き網の上で焼いて食べるのがこの鯖ずしの本来の食べ方であると聞いて実験したら結構食べられたが親類の話によるとじんましんが出て困ったという話も聞いたが、このすしも今では、若者に好まれず次第に姿を消す運命かもしれぬが前どれの鯖で現代風に作ればきっと多勢の人がびっくりする郷土料理になるのではないかと思われる。
 
次に播磨灘のシャコ、これは、昔は木箱にいっぱい幾らと云え程よく出廻っていた。節足動物でえびとは分類のちがう特有の旨さをもっており大切なことは生きている間に茹でないと死んで時間がたつと蛋白質が分解しやすくすぐに味がおちるが大阪の食通達はシャコは播州に限ると言われるが新しいものをそのまま茹でるからで、これも今ではかなり高価になり、庶民の食物からは離れて来ている。播磨の名物料理は、これからは、播磨灘の魚類と播磨平野の農産物をうまく組合わせるしかないのではないかと考える。例として、穴子の梅ずしとか、たこめし、小芋のえび煮、シャコソーメン等、名物料理を創りたいと願っている。
 最近、旨いもの発掘委員会でたたきカレイの弁当が推薦されたが、これは海辺の主婦のアイデアだがうまく軌道にのせたい一品である。

平成17年4月18日付 神戸新聞より

学校法人 みかしほ学園
  日本調理製菓専門学校・日本栄養専門学校
  学園長   水 野 昭 二